トピックス

2018.08.02日文研の話題 [木曜セミナー・リポート]「国際日本研究」とは何か。誰のための学問か。 (2018年7月19日)

 7月19日、「「国際日本研究」コンソーシアムを考える」をテーマに、木曜セミナーが開催されました。今年3月に刊行された『なぜ国際日本研究なのか――「国際日本研究」コンソーシアムシンポジウム記録集』(松田利彦ほか編、晃洋書房)の編者・執筆者3名を講師に迎え、書評会として本書の各論説を振り返るとともに、あらためて「国際日本研究」について考える場となりました。

 初めに、昨年度のコンソーシアム委員長および本書の編者であり、第1章「なぜ国際日本研究なのか」を執筆した松田利彦教授が、コンソーシアム結成までの経緯を紹介しました。併せて「国際日本研究」コンソーシアムの理念に込めた思いと、所内外に周知するうえでの苦労談などを披露してくれました。

 次に、第6章「Japan Generalistの功罪」を著わした牛村圭教授は冒頭から、「なぜ「日本研究」ではいけないのか」という、根源的な問いを投げかけました。そして「国際日本研究」を学問の対象ではなく、学問への方法と解した場合に、振り返るべき2つのディスクール(言説)を示しました。一つは1980~90年代に生まれた内発的な日本研究発展の試みであり、その中心に「国際的な視野に立って学際的・総合的に日本文化を研究する」と謳われた日文研の設立があったといいます。二つめは、2010年代に世界の学問動向としてJapanese Studiesへの関心が低下するなか、日本の大学でも人文学分野に新機軸が求められるようになったという外発的事情です。しかし、両者には連続性があまりないと前置きした上で、本コンソーシアムの現状はナショナルな「国際日本研究」であり、“Global Japanese Studies”と英訳すると、海外の日本研究者に対し「日本優位の前提に立つ日本研究」との疑念を招きかねない、と警鐘を鳴らしました。

 最後に、第4章「「日本学」の30年――1980年代と2010年代のあいだ」を執筆した宇野田尚哉大阪大学教授が最も強調したのは、「対話の相手は誰か?」という論点でした。日本「を」研究するよりもむしろ、日本という対象の独自性にはこだわりつつ、日本「から」研究発信するという発想の転換を呼びかけ、ディシプリンベースで対話の相手を開拓する必要性を説きました。重要なのは「国際日本学」を作ることではなく、人文学のグローバルな展開に寄与しうる日本研究を実践すること。それに対応しうる人材を育てるには、理論的知識の獲得に加え、言語教育の問題も焦点になるだろうと指摘しました。

 聴講者を交えたディスカッションでも引き続き、日本をグローバルな視点で研究する上での言語の問題を中心とした活発な議論が展開しました。
 
 
(文・白石恵理 総合情報発信室 助教)